文系フリーランスまたは休日低音大堤琴奏者の戯言

翻訳を生業とする文系フリーランスです。日々思い付く事を書いてます。

マルティヌー/リディツェへの追悼(NHK交響楽団 第1855回定期)

1月28日のN響定期、どちらかと言えば目当ては前半2曲でした。戦争、紛争をきっかけに書かれたこの2曲、下野さんは他の在京オケでも演奏しており、得意にしているようです。今日は1曲めのマルティヌー「リディツェへの追悼(1943)」について書きます。ちなみにこの曲を聴くのは初めてでした。

リディツェは第二次大戦中の1942年にドイツによって壊滅させられた村です。アメリカ亡命中のマルティヌーがその事件をきっかけに書いたのがこの曲です。確かに重苦しく始まり、過酷な運命が扉を叩く様子がベートーヴェン「運命」の例の動機の引用で描写されています。

ただ、私はむしろこの曲の美しい部分に惹かれました。チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」の第三楽章「エレジー」に、亡くなった人の思い出を皆が微笑みながら語っているような部分があるように、リディツェの村の美しさを描写しているように思われました。

そう考えると、何だか「リディツェへの追悼」というタイトルはちょっと重すぎるように感じます。原題は"Památník Lidicím"となっており、英語では “Memorial to Lidice” となっていますから、「リディツェの記憶のために」あたりが適訳かも知れません。

なお、配られていたパンフレットの曲目解説に、この曲が「コンチェルトグロッソの形式で書かれている」とありましたが、この曲はどう聞いても「交響詩」だと思います。せっかくの意欲的なプログラムですから、こういう所にも注意して欲しいものだと思います。