文系フリーランスまたは休日低音大堤琴奏者の戯言

翻訳を生業とする文系フリーランスです。日々思い付く事を書いてます。

古いテレビだが

先日ディスクを入れ換えたMac Miniは、2011年にテレビが地デジに変わってしばらく経ってから買った24インチの液晶テレビに繋いでいます。さすがに古いし、4kも出て来たし、と思ってたまに通販サイトを見ているのですが、なかなかこれというのが見当たりません。理由をいくつか挙げて見ます。

  • 入出力端子が少ない

今のテレビはHDMIが3つあります。他に使ってませんがアナログ入力もあります。HDMIが3つ付いているテレビとなるとかなり大きなものになってしまいます。

それと、光デジタル音声出力端子が付いているテレビがなかなか見当たらないのです。最近はそれなりに良いスピーカーが付いているからだと思いますが、やはり専用のオーディオシステムには敵いません。拡張の選択肢が減っているのは個人的には残念です。

  • 大きい

大きいのは悪い事じゃ無いんですけど、家はそんなに広くないし、BSも契約してないのであまり大きなテレビはいらないのです。個人的には32インチくらいでも十分かと思っているのですが、私が見た限りでは解像度Full HDのものはありませんでした(今のテレビは24インチでFull HDです)。まあ40インチ超えでも良いのですが…

そんな感じで、選択肢は以前より減っているように思います。小さいテレビが必要な人もいると思うのですが…

仮想通貨投資1周年

表題のとおり、ちょうど1年前に仮想通貨への投資を開始しました。

所得税の還付金の一定額を預金または投資に廻すことにしているので、どうしようか考えている時にネットで記事を読んで投資を決めたのでした。

1年経って、収支は圧倒的にプラスです。

元々の投資額が少ないので億り人には程遠いですが、投資としては大成功の部類だと思います。

まあこれは取引所の残高の話で、その金額が実際に自由に使える訳ではありません。

取引所での数字に過ぎないところから、仮想通貨を危険視する人達もいます。

ただし、よくよく考えてみれば、我々が今一般的に使っている各国の通貨もほとんどが不換紙幣で、その国への信頼で価値が決まっているのです。

経済活動の単位が国では無くなっている現代、その代わりとなるツールが出てくる事は不思議でも何でもないと思います。

今後も動向を注視して行こうと思っています。

デパートの催事

あるデパートの催事の案内がFacebookで流れて来たのでちょっと行って見たんですけど、うーむ、何というか、あんまり盛り上がってる様子がありませんでした。

そもそも各売り場でばらばらに開催してるから盛り上がりようが無いようにも思いますが。

前そのデパートで開催しているある地方の物産展もそれほどの盛り上がりを感じませんでした。

このデパート、誰でも知ってる、ほぼ日本の中心にある老舗で、建物も格式高い感じなのですけどねえ。

前、総武線の快速が停まる某駅のデパートで開催される地方の物産展は平日でもかなり盛り上がっていたのですが…

何というか、格式とかそう言う事にこだわっている時代ではない、という事なのか、と思わされました。

遠方から出店してる業者さんとかも、ちょっと気の毒だなあと思いました。

集合と離散

今週のお題は「カバンの中身」ですが、前もあったと思いますので切り口を変えて。

財布は電子決済が普及してもやっぱり最後まで無くならないものだと思います。不要なものはなるべく持ち歩かないようにしたいところですが、置いて来たカードが思いがけず必要になったりと、スリム化が意外と難しいですね。私も以前は長財布を持っていましたが、やっぱり取り回しが良くないので、今は小さめの財布とカードケースで済ませています。なかなか上手く運用できている気がしてるのでいずれ紹介したいです。

で、電子決済と言えばスマートフォンです。これもまとめたい、というか、普通は1つで済みそうなものですが、音楽聴いて電子書籍読んでSNS見てSuicaで改札抜けて、なんて感じで色んな事を1台でやってしまうと、もし障害が発生したら、なんて不安になってきます。さらにブログを書いたりするのであれば、やっぱり通信環境も複数用意したいところです。

主に財布とスマートフォンについて書きましたが、カバン自体も1つにまとめるか、分散させるか、いろいろ悩ましい要素があります。持ち物も変わって行きますから、なかなか1つの正解は無いのかも知れません。

なんだか色々買ってしまう言い訳みたいになってしまった…

凝らないようで凝る私の体が凝る原因が何となくわかった話

調子が良くないので 整体で見てもらった話をだいぶ前にしました。最近また我慢できなくなって整体に行ったのですが、そこで具合が悪い原因が何となく解りました。

どうやら骨盤の位置が悪い、具体的には前後の位置がずれているようなのです。

結果的に背骨が正しいカーブを描いていないため、座った時に痛みが出て腰痛につながる、というような話でした。

実はこの話、前に行った別の整体でもされました。私の良くない癖になっているようです。

以前修正方法を教えてもらって実行しているつもりではありますが、なかなか癖は直らないものです。

ただ、今回見てもらって良かった事があります。

先日、気温の変化が激しいせいか久しぶりに腰痛の症状が出ました。

その時は整体に行ったのに効果が無かったのかと落胆しましたが、幸いにも短時間の安静で回復しました。

また、ある一定の姿勢を取っているとお尻が痛くなる事があったのですが、それが無くなりました。

今回調整してもらった効果ももちろんですが、前に気を付けるように言われたことも効果が出てきているのでしょう。

この調子で段々良くなると良いなあ。

嘘と真実と

なんだか最近、改竄とか隠蔽とかの話を良く耳にします。何が真実なのか分かりにくい世の中、というか日本になってきているようです。非常に嘆かわしい話ですが、嘘と真実には言うまでもなく明確な違いがあります。以下はある小説からの引用です。

「真実には命がある。でも嘘には命が無い。嘘を嘘として成り立たせ続けるには、人間が命を吹き込み続けなければならない。」

嘘は一度ついたら最後、つき続けなければならない、ってのはこういう事なんですね。でも人間の命には限りがありますから、いつまでも嘘は続きません。

真実には人間が命を吹き込む必要などありません。そもそも人間ごときが命を吹き込める程度のものが真実であるはずがありませんね。

嘘に命を吹き込み続けると、なんだか自分の命が取られて長生きできないような気がします。全くついた事がない、とはさすがに言えませんが、できるだけつかないようにしようと思います。

そう言えば上記の小説、原語は英語のようです。Amazonで見つけたので、原語で読んでから紹介したいと思います。

シベリウス「春の歌」

今週のお題「わたしの春うた」

「春うた」ってお題が出てますので、ちょっと趣旨は違いますが表題の曲について。

日本でも一定の人気があるフィンランドの作曲家、シベリウスが若い時に書いた曲です。

待ちわびた春!というような輝かしい音楽ではなく、長い冬が終わってホッとしたような、そんな感じの曲です。

この曲を文字通りに春、ちょうど今頃演奏した事があったのですが、練習の時に指揮者の先生から「北国の春は我々が考える春とはちょっと違う」ようなお話があり、またロシアの作曲家グラズノフの「四季」というバレエ音楽は「冬」から始まるという話を聞いた事があったので、なんとなくそんなものかと思っていました。

ところが、その後再度演奏する機会があって、その時に受け取った楽譜には「春の悲しみ」というような意味のタイトルが書いてあったのです。

上には「長い冬が終わってほっとした」と書きましたが、言われてみれば何となく物悲しいような印象があります。

これは作曲途中で付けられたタイトルであり、最終的なものではないのですが、上に書いた春の演奏会の練習期間中に悲しい出来事があったので、その時の曲である「春の歌」に「春の悲しみ」というタイトルが一時付けられていた事が私には偶然とは思えないのです。

どんなつらい事があっても必ず春はやって来る。つらい記憶は残るかも知れないけれど、また前に進む事ができる。そんなメッセージが込められているんじゃないかと思っています。

春の想いが人それぞれ異なるように、音楽に対する想いも様々だと思います。こんな思い出もまあ、たまにはあるって事で。


Jean Sibelius / Spring Song Op.16